大判例

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東京高等裁判所 昭和51年(う)99号 判決

被告人 鈴木平三郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二〇万円に処する。

被告人において右罰金を完納することができないときは、金四〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用の全部は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官豊島英次郎の控訴趣意書、検察官猪口民雄の控訴趣意書補充申立書に、これに対する答弁は、弁護人泉川賢治、同川下宏海、同畑口紘、同大熊良臣連名の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨第一について

一(一)  所論は、原判決において本件カラー・ビデオテープのうち、「ポルノコンサルタント」、「ワイルド・パーテイ」及び「ブルーマンシヨン」の三作品(すなわち「火曜日の狂楽―赤坂の女」を除いたもの)の猥せつ性を認めなかつたのは失当である、すなわち原判決はその論拠として「本件起訴の対象となつたビデオテープが猥せつ物に該るかどうか判断するに当つてはこれらが製作・販売された昭和四六年頃から現在に至るまでの間における一般市民の意識、感情をとらえなければならない。」とし、「右一般市民の意識、感情は、巷間でどのようなポルノ映画や官能小説類が上映販売されているかをみることが確実な方法である。」と述べ、さらに弁護人提出の証拠物等を検討した結果、「ポルノ作品は大衆娯楽として定着しているということができる。」と説明したうえ、このことから本件ビデオテープの三作品の猥せつ否定を導き出しているが、これは刑法一七五条にいう「猥せつ」の要件の解釈、適用を誤つたものであつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで検討してみるのに、刑法一七五条にいう「猥せつ」の観念ないし定義については、最高裁昭和二八年(あ)第一七一三号、同三二年三月一三日大法廷判決(刑集一一巻三号九九七頁以下)、いわゆるチヤタレー事件最高裁判決が、猥せつ文書に関して、その内容が「徒らに性欲を興奮または刺戟せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」と説示しているが、これはその以降に言い渡された最高裁判決、高裁判決等でも、引きつづいて踏襲してきた定義であって、いまなお、その変更を要する合理的理由はないから、当裁判所もこの見解に従うものである。

そして、前示最高裁判決の掲げる定義に合致するかどうかを判断するための規準は、その説示のように「一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。この社会通念は『個々人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによつて否定するものでない』こと原判決が判示しているごとくである。」といえる。

(二)  検察官の所論にかんがみ、原判決がどのような方法を用い本件ビデオテープの猥せつ性の判断に当つて、「一般社会において行われている良識すなわち社会通念」を深求したかを検討してみよう。

原判決によると、「本件起訴の対象になつたビデオテープが、わいせつ物に該るかどうか判断するに当つては、まずこれらが製作・販売された昭和四六年頃から現在に至るまでの間における一般市民の意識、感情をとらえなければならないわけであるが、これを直接的に把握することは不可能に近いので(検察官申請の証人植野智之、平野俊夫、真鍋捷宏、山本達雄、林昭夫は、本件起訴にかかるものは見ているが弁護人提出にかかるものは見ていないので、これら証人の証言、平野俊夫の検察官に対する供述調書によつてはこの点が把握されているとすることはできない。)、巷間で公然といかなる内容の成人映画が上映されているか、また一般書店でどのような内容のポルノ雑誌や官能小説類が陳列販売されているかをみることが確実な方法である。」として、弁護人から提出したビデオテープ六本、映画フイルム二本、ポルノ雑誌類が公然と上映されたり、一般書店で販売されているが、「それが数多くあつて、長い期間取締りの対象にならず、一般大衆が特段の抵抗も感じないで観覧又は閲覧しているという状況があれば、それはもはや、わいせつ物とみることはできないというべきである。」と説示断定している。

次に、原判決は、弁護人提出の右の証拠と本件ビデオテープとを比較対照した結果、たしかに起訴されたビデオテープの方が演技の程度や表現の仕方について露骨さが強いということはできるが、弁護人提出のものについても露骨さはあるのであつて、その両者には、本件起訴にかかるものにはわいせつ性があつて弁護人提出のものにはそれが無いとか、又は、本件起訴にかかるものは公訴提起に値するほど違法性が強いが、弁護人提出のものはそれほどのものでないとかいつた程度に両者を区別できるほどの質的相違又はいちじるしい量的相違があるとまでは認められない。」と説示しているのである。(本件ビデオテープのうち「火曜日の狂楽―赤坂の女」(以下「火曜日の狂楽」という。)のみは、猥せつ物にあたるとの疑いが強いため、前記判示から除外されていることは、判文全体に徴して明らかである。)

(三)  以上のように、原判決は、直接に本件ビデオテープの猥せつ性を判断する方法を採らずに、弁護人が提出したビデオテープ、映画フイルム、ポルノ雑誌類等の証拠品は「もはやわいせつ物とみることはできない」との法的判断、次にこれらの証拠品と本件ビデオテープとを対比して「いちじるしい量的相違があるとまでは認められない」との比較という、二段階法を用いたのであるが、ここで問題となるのは、第一段階たる弁護人提出の証拠品に関する猥せつ性判断の当否である。

原判決の用いた方法によつて猥せつ性に関し判断するとしても、弁護人提出の本件証拠のみを資料とするのは不充分であるから、原判示の「昭和四六年頃から現在までの間に」おいて、全国に流布されていた、すべての成人映画、これに類するビデオテープ、ポルノ雑誌、官能小説類を蒐集して、これらを総合的に調査検討することが最善の途と考えられるが、それはともかくとして、猥せつ性の判断規準としては、チヤタレー事件の最高裁判決が述べているように、一般社会において行われている普通人の社会通念であること、この社会通念は個々人の認識の集合又は平均値でなく、これを超えた集団意識であること、社会通念は時代的・場所的の事情によつて変化することを是認しなければならないのである。

このことは、すなわち、猥せつ性の判断規準たる一般社会における社会通念とは規範的概念といわねばならないことに帰着する。従つて、これは、一定時期における、一般成人の猥せつ性に関する意識を統計的に集積調査して、数量的に得られたもの(正確にして完全なものを把握することは不可能であるけれども)自体とは異なるのであり、これも一つの有力な資料として定められる、普通人のもつ社会通念、すなわち規範的性質を備えたものといわねばならないのである。

なお、本件ビデオテープが当時、本件の販売相手方から主としてモーテル等の風俗旅館経営者に賃貸ないし販売することが予定されたために、これを観覧する者も主として性交を目的とする男女達に限定されていたとしても、そのために規準となる社会通念が一般観覧者を対象とする通常の映画の場合と異なるものでないことは、もとよりである。

しかるに、原判決は、本件ビデオテープが販売された「昭和四六年頃から現在に至るまでの間における一般市民の意識、感情」を、前示の方法によつてとらえることができたと解したうえ、これを猥せつ性の判断規準と称するけれども、右の「一般市民の意識、感情」という言葉とか、いわゆるポルノ作品は大衆娯楽として定着しているとの「定着」という言葉に注目するとき、原判決は「長い期間取締りの対象にならずに、一般大衆が特段の抵抗も感じないで観覧又は閲覧しているという状況」そのものを目して「一般市民の意識、感情」と解しているらしく、厳密にいえば、右の状況に対して特に価値判断を加えていないといえる。(或は、原判決は右の現実の状況そのものは単なる事実の域を脱し、社会通念として一種の規範化されたものと解釈しているのであろうか。)

従つて、ここにいう「一般市民の意識、感情」というものも、帰するところ、右の一定の状況ないし事実そのものであるから、これは、いわゆる規範的概念たる「良識」「社会通念」とは必ずしも合致しないものといえる。

たとえば、一定の期間(この犯行の公訴時効の期間は三年間)にわたり、ポルノ映画、ポルノ写真類等が検挙、起訴されなかつたとしても、それは全く猥せつ性がないからではなく、猥せつ性の度合いが薄いから、取締当局において検挙、起訴を控えたとも考えられるし、また次から次に全国的に多数のポルノ映画、同ビデオテープや、数え切れない程のポルノ雑誌類がうたかたの如くに大衆の前に現われ、また姿を消して行くなかで、どの映画、ビデオテープ、雑誌を検挙するか、なおどの程度以上のものを特に起訴するかについては、他への影響もあつて、細密周到な考慮を払わねばならないのである。従つて不検挙、不起訴がそのまま、取締当局において猥せつ性がゼロであると判定したことに結びつくものとはいえないのである。

また「一般の大衆が特段の抵抗も感じないで、観覧又は閲覧しているという状況」があつた点についても、一般大衆は、映画、ビデオテープ、雑誌類を「つくる人」「与える人」ではなくて、主として営利企業体たる映画、ビデオテープ等の製作、販売会社ないし雑誌会社から「与えられる人」「提供される人」(もつとも有償ではあるけれども)である。そして、これらの映画、ビデオテープ、雑誌類を観覧、閲読して、或は著しく性欲を刺戟せしめられるものがあるかと思えば、自分は快感を覚えながらも、未経験、未熟な青少年がこれを観覧すると、悪い影響を与えると考えたり、また嫌悪感と快感とを交錯して覚えたりするなど、多種多様であることが推定されるけれども、これらの大衆は、映画評論家等とは異なり、観覧、閲読後の感想、感情及び読後感を敢て表示することは稀であるし、またこれを公表する機会は、ほとんどないといえる。

これらの事情を念頭におくとき、原判決のいうように、直ちに「一般大衆が特段の抵抗も感じないで観覧又は閲覧しているという状況があれば、それはもはや、わいせつ物とみることはできないというべきである。」と説示することは、不当といわざるを得ない。

更に、原判決は「検察官においても、弁護人提出の前記証拠物に関しては最も刺戟が強いと思料される『うまい話に御用心』も含めて、わいせつ物でないという前提に立つて論告している。」とも述べているが、原審における検察官の論告要旨書の中には「仮に他にも同種の映画やビデオが公開されているとしても、それは単なる取り締りの当否の問題にすぎず、本件テープのわいせつ性を否定する根拠にはなりえない。……まして弁護人申請の映画フイルム二本およびビデオテープ六本は、わいせつ性において数段劣るものであり、これが取り締りの対象にならなかつたとしても、本件ビデオテープと同列に論ずることはできない。」と記載されているのであつて、意味が明確でない嫌いがあるものの、弁護人提出の証拠物は本件ビデオテープと比較すると、猥せつ性の度合いにおいて相当に劣ると述べているのに過ぎないのである。従つて、弁護人提出の証拠物をすべて猥せつ物でないとの論告があつたと、原判決が断定するのは、論告を誤解しているとの譏を免れないのである。

(四)  以上のように、原判決が弁護人提出のビデオテープ、映画フイルム等につき猥せつ性の有無を判断するに際し、用いた方法ないし規準については誤謬がある以上、この点において論旨のいうとおり原判決には法令の解釈及び適用に誤りがあるといわねばならない(その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであることは後に触れることとして)。

二(一)  所論は、「本件カラー・ビデオテープについてみると、原判決は無罪理由の冒頭に、本件カラー・ビデオテープの『内容、特徴』を各テープごとに指摘するとして、原判決書添付別紙(一)乃至(四)にこれを掲げているが、その指摘は、『ブルーマンシヨン』につき四箇所(判決書添付別紙(一))、『ポルノコンサルタント』につき四箇所(同別紙(二))、『火曜日の狂楽』につき四箇所(同別紙(三))、『ワイルド・パーテイ』につき三箇所(同別紙(四))に過ぎず、また女のうめき声等の音声には本文でも右別紙でも特に触れておらず、右別紙で指摘した箇所における特定の場面が継続する時間を記載した部分等の一部に誤りがある。さらに悶絶する女の表情の大写し、陰茎が勃起怒張した状態を形どつた動く性具(擬似陰茎)の形状等にも特に触れていない。」、「本件カラー・ビデオは、いずれも筋が極めて簡単で、問題意識というものは全くなく、また経緯の変化等には殆んど重点を置いておらず、従つてそこに出てくる人の声や行動も、性交・性戯中の女のうめき声を除けば、ただ性交・性戯の場面の変転をつなぐための、極めて短い、かつ露骨で直接的なものばかりであるし、また性交・性戯中の背景描写乃至周辺描写というべき程のものが殆んどない。」「実際には性交・性戯中における極度の姿態の動き、悶絶する表情等の描写が徹底を極め、これに女のうめき声等の音声が伴い、刺戟的効果が圧倒的に強いものであることは、右カラー・ビデオテープそのものにより至極明瞭である。」から、当然猥せつ物と認められるのにかかわらず、原判決が本件カラー・ビデオテープの「ポルノコンサルタント」、「ワイルド・パーテイ」及び「ブルーマンシヨン」の猥せつ性を認めなかつたのは失当であり、法令の解釈、適用を誤つたというのである。

右の三作品に加えて、便宜上、原判決がほぼ猥せつ性を肯定した「火曜日の狂楽」の各猥せつ性を調査、検討するのに、その内容あらすじは後記の別紙(一)ないし(四)の下欄の各(イ)に記載のとおりである。

それらは一見して明らかなように、いずれも男女の性交、性戯、女性の自慰、女性同志のレスビアン(以下「レズ」という。)シーンの場面が大半を占める一方、物語の筋は単純で、それが展開するというよりは右の各性愛場面をつなぎ合わせる程度の意味しかないのである。そして、性愛場面の描写をみると、男女の性器そのものを写さず、また関係証拠によれば、男女の性交や女性陰部に手指や擬似陰茎などをさし入れる場面も、実際に性交をしたり陰部にさし入れたりしているのではなく、俳優があたかもそのような場面にみえるように演技していることが認められる点で(陰部付近と陰部付近とを接触させずに体位をずらしているところもある)、いわゆるブルーフイルムとの違いは肯認されるのであるけれども、それにしても、本件四本のビデオテープの描写は全体としてきわめて大胆、露骨、執ようであり(そのうち、とくに刺戟の強い場面として別紙(一)ないし(四)の下欄の各(ロ)記載のものがあげられる)、一般のポルノ映画などに多くみられる「ぼかし」はなく、腰部付近に遮蔽物を置くなどの措置もほとんどとられず、性交場面等を容易に連想させる全景(フルシヨツト)が多いのみならず、男女とくに女性が喘ぎ悶え、ついに絶頂感に達するまでの音声が克明、執ように録音されているのであり、これらの男女、また女性同志の姿態、動き、色彩、音声などが知的な連想作用をまたず、視覚、聴覚を通じて直接的に訴える効果・迫力は甚だ強いものがあり、このような点でいわゆるポルノ小説類の性愛場面の描写と同一に論ずることはできないものがある。

これら本件四本のビデオテープを前示の規範的な意味合いをもつた社会通念、すなわち良識に照らして判断すれば、いずれも刑法一七五条にいう猥せつ性をもつものと認めるのが相当である。

(二)  原判決は、本件のビデオテープの内容・特徴として別紙(一)ないし(四)の上欄の記載(原判決別紙(一)ないし(四)と同一。但し、本判決別紙の方では、その順序を変えた。)をあげ、そのうち「火曜日の狂楽」については猥せつ物の疑いが強いと認めているが(但し、その刺戟の強い場面などの指摘は当裁判所の認めるところと比較すると、不十分である)、その余の「ポルノコンサルタント」「ワイルド・パーテイ」「ブルーマンシヨン」の三本についてはいくつかの論拠をあげてその猥せつ性を否定している。

まず、右三本の作品につき、原判決の指摘する、その内容・特徴は(別紙(一)、(二)、(四)の上欄)、当裁判所の認めるそれ(同下欄。なお、前説示参照)と比較すると、重要場面の欠落しているものが少なくないのであり(たとえば、「ポルノコンサルタント」では、男が女の背後からする性交場面、天狗の面をつけた女と別の女との性愛場面((別紙(一)下欄(ロ)の(3)、(4)))、「ワイルド・パーテイ」では立つた一人の女と二人の男との性愛場面((別紙(二)下欄(ロ)の(1)))、「ブルーマンシヨン」では女同志の性愛場面((別紙(四)下欄(ロ)の(2))))、なお、原判決には特定の場面の継続時間を過少に指摘した部分も何か所かあり、また原判決は、その別紙においても本文においても音声に全く触れていないなど、その把握は十分でないといわなければならない。

次に、原判決は、前示のように世間に上映ないし販売されている映画、小説、性具などを猥せつ物でないと前提したうえ、弁護人提出のビデオテープなどと本件ビデオテープとを比較して本件の方が演技の程度や表現の仕方について露骨さは強いが、それは質的な差異とまでは認められないとするのであるが、右のような前提が誤りであることはすでに述べたとおりであり(世間に上映、上演ないし販売されているものの中には相当いかがわしいものも混つていることは公知の事実といつてもよく、なお、本件の「ブルーマンシヨン」の中に出てくる電動式擬似陰茎((別紙(四)、(ロ)の(1)))はその形状が勃起、怒張した陰茎に酷似しており、この程度に至つたものが一般に販売されれば取締りの対象になる蓋然性もあろうし、また一般の書店や図書館にある書籍の中にたまたまそのような部分が含まれていたとしても、これらの書店等は取締りの機関でもなく、また購入にさいし事前に一々そのような審査をするものでもないことが指摘できるだろう)。また以上の点を度外視してみても、本件の四本のビデオテープはその露骨さ等において弁護人提出のビデオテープ、映画に比べてかなり甚だしいものと認められる。

また原判決は、本件の各ビデオテープの性交等の場面が実際の性交等でなく演技によりそれを暗示させるにすぎないとしてこれを猥せつ性否定の一理由としているが、演技ではあつても実際の性交等とほぼ同じような刺戟的効果をあげることは可能であり、本件の各作品の大半の場面はその程度にまで至つていると認められる。

さらに、原判決は、本件の各ビデオテープの性愛場面は、健全な性生活の経験者たる一般成人からみれば現実の性生活とはかけはなれて作られた演技であることが理解されるため、それが猥せつ感を失わせる一要素ともなつているというが、右のような限られた範囲の者を規準にして猥せつ感を測るのは妥当でなく、また本件の各作品にあらわれる性交、性戯場面等は必ずしも現実にありえないものとまではいえないといえる。

(三)  以上によれば、本件四本のビデオテープはいずれも刑法一七五条にいう猥せつの図画と認めるに十分であるから、「火曜日の狂楽」をのぞく三本につきその猥せつ性を否定した原判決の認定、判断には誤謬があるものといわなければならない。

三  そして、前掲の一で述べたように、原判決には猥せつ性の有無を判断する規準及び方法に過誤があるから、ここに原判決には法令の適用に誤があつて、その誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというべく、この点の論旨は理由がある。

論旨第二について

(一)  所論は、原判決は、本件のビデオテープのうち「火曜日の狂楽」の猥せつ性を認めながら、刑法一七五条の犯意の中には猥せつという「規範的構成要件要素」が含まれると解されるのに、「火曜日の狂楽」については、「被告人はわいせつ物に該当しないと信じて販売し、そう信ずるについて客観的に合理的な理由があつたので被告人に犯意がなかつた」というが、右のような解釈・判断は、刑法一七五条の犯意の成立につき、問題となる記載の存在の認識とこれを頒布・販売することの認識があれば足れりとする、いわゆるチヤタレー事件最高裁判決に違反するのみならず、被告人は本件の各ビデオテープの内容を熟知し、その販売の認識を有していたことは明らかであるうえ、本件の各ビデオテープの内容に徴すれば、原判決がいうように被告人が陰部などと錯覚されるおそれのある部分を削除させたなどとはいえず、むしろ被告人は出演者に対し徹底的かつ極限までの露骨な演技を要求しているし、その他の原判決のあげる理由はすべて猥せつ性を否定する事由とは無関係である、要するに原判決は刑法一七五条の解釈・適用を誤り、刑法三八条一項を適用すべきでないのにこれを適用して被告人を無罪とした違法がある、というのである。

ところで、チヤタレー事件最高裁判決において所論指摘のように判示し、さらに「猥せつ性に関し完全な認識があつたか、未必の認識があつたにとどまつていたか、または全く認識がなかつたかは……犯意の成立には関係がない。」と述べている点などについて考えると、右判決の趣旨を忖度しても本件ビデオテープの性的描写の意味内容に関する認識がない場合も犯意が成立するということまでを意味しているとはいえないし、また右判決の趣旨が本人において猥せつ性がないと信じ、かつそのように信じたことについて、どのような客観的明白な事情があつても常に犯意を阻却しないことまでを含むかどうかについては、多分に論議の余地を残すところである。なお、所論は原判決において「被告人はわいせつ物に該当しないと信じて販売し、そう信ずるについて客観的に合理的な理由があつたものと認められる」ことを理由として犯意がなかつたとした点につき判例違反を主張するけれども、右のような事実関係が認められることを前提として初めて、判例違反の問題が登場するのであつて、この事実が否定されると、判例違反の有無を判断する必要がなくなるのである。従つて、次に被告人が本件ビデオテープについてどのような認識をもつていたか、それが犯意との関係でどう評価されるかを検討し、併せて原判決のいう右の前提事実が認められるかどうかを究明してみる。

(二)  ところで、原判決は、本件のビデオテープのうち、「ポルノコンサルタント」、「ワイルド・パーテイ」及び「ブルーマンシヨン」の三作品についてはその猥せつ性を否定したため、犯意に関しては「火曜日の狂楽」についてのみ判断しているが、すでに述べたとおり右の三作品についても猥せつ性が認められるから、ここで一括して判断する。

関係証拠によれば、被告人は日活株式会社のテレビ本部ビデオ事業部長として、本件の各作品の企画に関与したほか、いずれもその撮影、オールラツシユ(フイルムの荒編集)、試写に立会つたことが明らかであるから、その各内容は熟知していたことが認められる。

もつとも被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書及び原審公判廷における供述によると、前記の各段階で被告人は陰部等のように錯覚を与えるおそれのある場面の一部削除を指示したことが窺われるが、それにもかかわらず完成した本件ビデオテープの性愛場面の内容等はすでに明らかにしたとおり全体としてきわめて大胆、露骨、執ように表現されているから、被告人が本件ビデオテープにおける性的描写のもつ意味内容を充分に知悉していたことは明らかであるといわねばならない。

このことは、本件の「ワイルド・パーテイ」に女優として出演した原審証人磯部陽子の供述により認められる事実、すなわち同女は乱交場面のアクシヨンがかなりオーバーであつたため、渡辺監督及び撮影に立会つていた被告人に対し「やりすぎじやないの」といつたところ、被告人は「日活ではこれから、もつとポルノシーンの多い映画を作つていくから大丈夫だ。」と答えたという事実からも充分に裏付けられるのである。

そうであるとすれば、その余の判断をするまでもなく、本件につき被告人に犯意があつたことは、明白といわねばならない。

他方、以上の事実にかんがみると、本件ビデオテープにつき、原判決がいうような「被告人がわいせつ物に該当しないと信じた」とか、「そう信ずるについて客観的に合理的な理由があつた」などと認めることのできないことはいうまでもないところである。

なお、原判決のかかげるその余の犯意を否定する論拠は、仮にそのような事実があつたとしても、いずれも犯意の成立を阻却する事情にはあたらないものと考えられる。

(三)  以上によれば、所論のうち判例違反の主張については、前示のようにその主張の前提をなす事実関係が認められないのである。従つて、判例違反の有無について判断する必要はないのであるが、原判決において被告人は本件ビデオテープにつきオールラツシユや試写の段階で一部の場面の削除をさせたことやその他の事実を認定したうえ、それらの事由があるため本件のビデオテープが猥せつ物に該当しないと信じて販売し、かつそう信ずるについて客観的に合理的な理由があつたと認めて本件の犯意を否定し被告人を無罪としたのは、結局において事実を誤認し、ひいて判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈・適用の誤りがあるものというべく、この点の論旨も理由がある。

(弁護人の公訴棄却の主張について)

弁護人は、原審において、(イ)同種の映画、印刷物などのうち本件の作品だけを、事前の警告もなしに検挙・起訴するのは公正を欠く、(ロ)本件の公訴事実は憲法二一条の趣旨に照らして犯罪を構成しないのに、あえて起訴したのは同条に違反する、(ハ)本件の捜査と起訴は、個人の基本的人権の保障を全うしつつなされなければならないとする刑訴法一条の精神に違反する、よつて本件公訴の提起は公訴権の濫用として公訴が棄却されるべきである、と主張している。

これに対し、原判決は、「……実体上の審理をして被告人を無罪と判断したからには……(右)の申立についての判断を示す必要はないと解する」として判断をしていないが、右主張は実体判決の前提となる問題であるから、原判決の説示判断は不当といえる。

そこで、右の主張に対して簡単に判断を示すと、(イ)本件の各ビデオテープはいずれも猥せつ性が認められ、本件事案の内容・規模などからみて本件の起訴が公正を欠くとは思われない、なお、捜査に事前の警告を要するものではない、(ロ)本件の各ビデオテープは猥せつ物にあたるから、これを販売することが犯罪を構成することはもち論であり(販売の相手方が会社等であつても犯罪の成立には変りがない)、所論違憲の主張はその前提において採用できない、(ハ)記録を精査しても本件の捜査と起訴が刑訴法一条の精神に違反するとは考えられない。

従つて、公訴権濫用の主張は採用できない。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書にしたがい次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、映画、ビデオテープ等の製作、配給、販売、興業などを業とする日活株式会社(本店所在地・東京都千代田区有楽町一丁目一番地)のテレビ本部ビデオ事業部長として、同会社の製作にかかるビデオテープにつき、その企画、製作、販売等の業務一切を統轄掌理していたものであるが、同会社関西支社のビデオ事業部課長たる鈴木国雄及びビデオ事業部係長たる中田和彦と共謀のうえ、末尾添付の別表記載のとおり昭和四六年一二月二三日ころから昭和四七年一月一五日ころまでの間、二一回にわたり、大阪市天王寺区小橋町二番地の一の日進電響株式会社ほか一九か所において、同会社ほか一九名に対し、日活株式会社の製作にかかり、男女の俳優をして性交、性戯、女性相互間の性戯などの姿態、発声などの露骨な演技をさせ、これらを撮影、録音した多数の場面を包含する「ポルノコンサルタント」、「ワイルド・パーテイ」、「火曜日の狂楽―赤坂の女」及び「ブルーマンシヨン」と題する猥せつのカラー・ビデオテープ合計八九巻を、代金合計二三〇万九〇〇〇円で売り渡し、もつて猥せつの図画を販売したものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示行為は包括して刑法六〇条、一七五条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号、二条一項(刑法六条、一〇条による。)に該当するので、所定刑のうち罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金二〇万円に処し、被告人において右罰金を完納することができないときは刑法一八条にしたがい金四〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置し、なお刑訴法一八一条一項本文にのつとり原審及び当審における訴訟費用の全部を被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、日活株式会社のテレビ本部ビデオ部長の立場にあつた被告人が部下と共謀して猥せつなカラー・ビデオテープ四種類、合計八九巻を延べ二一名に対し代金合計二三〇万九〇〇〇円で販売したという事案である。

本件ビデオテープがいわば会社ぐるみで組織的に企画、製作され、販売されたこと、被告人はその中心的人物であつたこと、その販売巻数、代金額が少くないこと、販売先も広範囲に及んでいることなどに徴すると、その刑責は軽視することができないのであるが、ひるがえつて本件のビデオテープはいわゆるブルーフイルムの類とは異なること、その犯行に組織性が認められる反面、この当時の観覧者は主としてモーテルの利用者などが予想されその意味では一般への影響が限定された面もあること、被告人は個人的な動機から本件の挙に出たものでなく、会社の営業方針にしたがい組織の一員としての立場で関与したものであること、本件につき捜査の手が伸びるや被告人は直ちに販売したビデオテープの回収をはかつたこと、被告人には前科・前歴はなく、誠実に勤務し業績をあげてきたものであることをも勘案し、所定刑のうち罰金刑を選択して主文のとおり量刑した。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 藤野英一 藤島利行 渡邊達夫)

別紙

原審の認定

当審の認定

(一) ポルノコンサルタント

(映写時間三〇分)

冷感症の女性を、性の歓びを得るように指導するというもの。

刺戟の強い場面

(1) 男が女のパンテイを脱がせ、手指を女性陰部にそう入することを想像させる場面。

(2) 女性の乳房を男および女が口唇、舌先で愛撫する。

(3) 女性同志が重なつて、互に陰部付近を密着させて腰を動かす全景。

(4) 仰臥している男の腰部に女性がまたがつて腰を動かし、女上位の性交を想像させるところ(全景で数秒)。

(一) ポルノコンサルタント(映写時間約三〇分)

(イ) 内容とあらすじ

ポルノコンサルタントの男が性行為を通じて冷感症の女や「レズ」をする女の治療をするというもの。

夫Xが妻Aの冷感症の治療をケンなる男に頼む。ケンがAと性交して絶頂感に到達させる。ケンが別の女Bを愛撫したあとに性交する、Bからケンに友達の「レズ」の女を治してくれと頼む。天狗の面をつけた女Cと女Dとの「レズ」シーンがあり、そこにケンがきてD、ついでCを愛撫したり、これらと性交したりする。

(ロ) とくに刺戟の強い場面

(1) ケンが長襦袢姿の女Aの股間に手を入れ、その陰部付近らしき所を愛撫するところを股間に焦点をあてて撮影。

(2) ケンが女Aと正常位の体位で重なり、互に腰を動かして、Aは悶絶する(悶絶するまでの場面の大写し)。

(3) ケンが女Bのパンテイを脱がせ、手指をその陰部付近らしき所にさし入れたあと、床に膝をつき手をベツトのへりにかけた全裸のBの背後から、下腹部を密着させ腰を動かすところ。

(4) 天狗の面をつけた女Cが面の長い鼻を仰向けに寝ている女Dの陰部付近らしき所にさし入れ、面をとつてからDの股間に顔を埋めるところ。

(5) 全裸の女C、Dが互に陰部付近らしき部分を密着させて腰を動かし、また仰向けになつた女の腰部付近に他の女が背を向けてまたがり、互に陰部付近らしき所を刺戟しあうところ。

(6) 仰向けになつた男の腰部付近に女がまたがつているところ。

(二) ワイルド・パーテイー

(映写時間三〇分)

新宿の深夜喫茶店で二人の男が体験したというもの。

刺戟の強い場面

(1) 全裸女性上位で、男の上に重なつた女性が腰を動かす。

(2) 仰臥の男の上に重なつた女性がはげしく腰を動かす(特に女の腰の動きを強調している)。

(3) 膝をついている女性(全裸)の背後から男(全裸)が抱きついて腰を動かす。

(二) ワイルド・パーテイ(映写時間約三〇分)

(イ) 内容とあらすじ

二人の男が新宿の深夜喫茶店の特別会員となり、男女の性交、女性の「レズ」、自慰、複数の男女による乱交などをつぎつぎと見たり体験したりする。

(ロ) とくに刺戟の強い場面

(1) 全裸の女が片足で床に立ち片足を拡げてカウンターにかけると、男Xが前から女の足の間に膝をついて女の腰を抱き、その股間部らしき所に顔を埋め、男Yは立つて女の乳房を吸う、女は腰を動かし、Xの肩に足をかけて悶える。

(2) 仰向けになつた全裸の女の上に全裸の男が正常位の体位で重なるような恰好をし、女の片足を自己の肩にかけるところ。

(3) 仰向けになつた全裸の男の上に女が乗馬位の体位でまたがるような恰好をし、激しく腰を動かすところ。

(4) 複数の全裸の男女による乱交場面中、全裸の女が自慰するような仕草をするところをその下腹部に焦点をあてて撮影したところ。

(5) 複数の全裸の男女による乱交場面中、四つんばいになつた女の臀に男が下腹部を密着させ、互に体を激しく動かし、女が悶える(全身と各部分の大写し)。

(三) 火曜日の狂楽(映写時間約四〇分)

刺戟の強い場面

(1) パンテイ姿の女性が股を開げ、男の指がパンテイの上から女性陰部付近を愛撫する。そのあと男女が全裸で重なり、男が腰を動かす(全景)。

(2) 男の上に女性が重なり、女性が腰を動かす(数秒)。女性の上に男が重なり、女性の腰に手をあててこれを動かし、また女性の片足をもちあげて腰を動かす(いずれも数秒)。うつぶせの女性の上に男性が重なり腰を動かす(数秒)。

(3) 女性同志で、仰臥している女性の股の奥の方にマツサージ器具を押しあてる。

(4) 女性同志が互角になつて陰部と陰部を互に密着させて腰を動かしあう。

(三) 火曜日の狂楽(映写時間約四〇分)

(イ) 内容とあらすじ

バーのホステス二人と男客との間およびホステス同志の性交渉を描いたもの。

ホステスのナオミとミキは、実際にはマンシヨンの同じ部屋を借りているのだが、ナオミが客の宮内にマンシヨンの部屋を借りて貰う約束をし、ホテルの客室、ついで浴室で性交する、ミキが別の客の立花に同じくマンシヨンの部屋を借りて貰う約束をし、ホテルで性交する、次にナオミがマンシヨンの部屋で宮内と性交する、そして、宮内のくる日を月、水、金曜日とする、ミキが立花と同じ部屋で性交する、そして立花のくる日を火、木、土曜日とする、最後にナオミとミキとの間でガラス筒にゴムのついたスポンジ式の吸引器や擬似陰茎を使つたりしてのレズシーンがある。

(ロ) とくに刺戟の強い場面

(1) パンテイ姿のナオミが股を拡げ、男の宮内がパンテイの上から女の陰部付近らしき所を愛撫する、二人が全裸で重なるような恰好をし、はじめ女が馬上位となつて共に腰を動かす、ついで四つんばいになつた女の臀部に男が下腹部を密着させて腰を動かすところ。

(2) ミキが立花の上にいわゆる茶臼の体位で乗り、つぎに女上位の体型をとるところ。

(3) 宮内とナオミがマンシヨンの部屋で正常位で重なるような恰好をし、男が女の片足を持ち上げるところ。

(4) 立花がマンシヨンの部屋でうつぶせになつた女ミキの臀部に下腹部を密着させているところ。

(5) ナオミとミキの「レズ」シーンで、ナオミが前示スポイト式吸引器でミキの股の奥の方らしき部分を吸引するところ。

(6) ナオミとミキが互角となつて相互の陰部付近らしき所を密着させたり、ミキがナオミの臀の方から擬似陰茎をさし入れる、なお、女の肛門の近くが黒ずんでみえるところの大写し。

(四) ブルーマンシヨン

(映写時間約三〇分)

若夫婦、女子高校生、大学生の性関係を題材にしたもの。

刺戟の強い場面

(1) 男性性器を模倣したバイブレーターを用い、女性同志が互に相手の乳房、陰部付近を刺戟する。

(2) 大学生と女子高校生との性交を見ながらもう一人の女子高校生がパンテイの中に手を入れて自慰する。

(3) 浴室での性交で、腰を動かしている場面数秒。

(4) 男二名、女三名の乱交で、全裸で体を密着させているところ一分乃至二分、乳房をもんでいるところ数十秒。

(四) ブルーマンシヨン(映写時間約三〇分)

(イ) 内容とあらすじ

若夫婦、女子高校生、大学生間の性関係を題材にしたもの。

若夫婦が性交し、外出する。妻の妹の女子高校生が擬似陰茎を使つて自慰し、つづいて友人Bとの「レズ」シーンがある。大学生XがきてAと性交し、Bはそれをみながら自慰する。浴室でシヤワーを浴びているAの臀部にXが下腹部を密着させ、立つたまま性交する。帰宅した夫がAをベツトに連れ込み、全裸で性交する。帰宅した妻とX、また夫とBのほかにAも加わり、乱交となる。

(ロ) とくに刺戟の強い場面

(1) 電動式擬似陰茎を口にくわえるようにした女Aと全裸の男Xが股間を交差させる恰好をした姿態、AがBの陰部付近らしき所に右擬似陰茎をさし入れるところ。

(2) 女A、Bによる、いわゆるシツクス・ナインの同性愛場面で上になつた女の股間から下の女が顔をのぞかせ、舌で上になつた女の陰部付近らしき所を愛撫するところ。

(3) 全裸の男女XとAが重なつて動作するのを目撃した女子高校生Bがパンテイの中に手を入れて陰部らしき所をもてあそぶところ。

(4) 浴室の壁に両手をついて体を支えている全裸の女Aの臀部付近に裸の男Xが下腹部を密着させる、男が腰を動かし、女が喘ぎ悶える場面。

(5) 全裸の男二名、女三名が入り乱れて、重なるような恰好をしたり、抱きついたり、腰を動かしたりするところ。

別表(略)

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